どうも。地味に偉人の名言集が好きな鳥頭です。
モチベーションを上げたいとき、やる気を出したいとき、名言集を開く習慣をつけて結構経つ。短い言葉にその人の「人生」とか「信念」とかが凝縮されているようで、読む時期によって違った言葉に聞こえることもある。何年も経ってやっと意味がわかることもある。
死語もずっと人を勇気付ける言葉を残せる人にすごいなーと純粋に思うし、その人となりを後世に伝え続けることができる言葉ってやっぱり素敵だなーと思う。
そんな中、多くの名言集に載っている言葉としてこういう系統の名言がある。
世の中の人は何とも言わば言え、我がなすことは我のみぞ知る
by 坂本竜馬
鳥頭の好きな言葉の一つです。「志」という言葉がこの人にはよく似合う。名言集にはこんな感じで「周りのことはほっとけ、自分のやりたいようにやれ」みたいな言葉があるよね。
好きな言葉の一つだったし、納得しながらこの言葉を受け止めている。しかしその意味を受け止められたのは実は最近の話だ。今日は「他人の目を気にするな」という言葉に対して正しい理解ができるようになった、そんなお話。
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「他人の目を気にしない」ことを意識すればするほど「他人の目が気になる」その理由とは。
昔の管理人は他人に「気にしぃ」と評されるぐらい周りの目を気にする人間だった。
その場その場で人から求められていることを推測して、その通りに行動する。相談を持ちかけられたら「今この人はどんな言葉を欲しがっているのかな」ということを考えて言葉を発する。自分の行動を他人からの需要によって決めてしまうような人間だった。「自分がない」の典型みたいな感じ。
当然、親しい友人からは「鳥頭は人の目気にしすぎ!そんなんじゃだめだよ、自分持てよ」と指摘されることがあった。自分でも自覚はあったし「まあそうだわな」と思ったこともあり。意識して「他人の目を気にしない」ように努めたこともあった。
けれど、その意識だけでは何も変わらなかった。
なぜか。
それは、「気にしないように」と意識すること自体が「気にしている」状態を意識させることだからだ。
「気にしない」という言葉は「気にする」という言葉の否定形。「気にする」という状況をその上から否定している状態こそ「気にしない」の正体。「気にしない」ことは「気にする」ことを前提に成り立っているのだ。
つまり「気にしない」ことに意識を置けば置くほど、「気にする」という状態からは逃れられないこと。
ミスしたくないときに「ミスしないようにしよう」と意識することは、「ミスする光景」を同時に意識してしまうため、かえってミスが出やすくなるのだ。意識っていうのはすごいもので、良くも悪くも意識したとおりのことが起こってしまうんだな。
「他人の目を気にしすぎる自分」を克服した話
他人の目を気にしないようにするってどういうことなのだろう。
「気にしぃ」と評されていた期間にその答えは結局出なかった。わかったのはここ2年くらいのことだ。
仕事でうつを発症したことを切欠に考え方が大きく変わった。そのうちのひとつ「他人のためにと尽くしたところで、他人ってあんまり助けてくれないんだな」と痛感したことがはじまりだった。
それまでの他人を行動の指針とする考え方から一変「うるせえ!好きにやらせろ!!」と周囲を蹴散らしてでもやりたいようにやるスタンスにモデルチェンジ。遠慮していたことをズケズケいうようになった。好きなことをやるために行動するようになった。上司(胃痛)はさらにやつれた。
「自分がやりたいことをやる」これを追求していくと、あれだけ嫌だった仕事が次第に楽しくなってきた。
自分が楽しいと思う仕事にどんどん手を出してやっていったわけだから楽しいのは当たり前。自分の行動力をフルに活かせる場をもらえたこともあり、能力を活かせている感覚もちゃんとあった。何より自分で自分の行動を肯定できた。
そんな毎日を過ごしている中でふと気が付いた。「あれ?他人の目が気にならなくなってね?」
「気にしない」ことをあれだけ意識しても何も変わらなかったのに、いつの間にか自然に「気にしない」ことを習得している自分がいたのだ。
「他人の目を気にしない」そんな自分になれる方法
なぜ「他人の目を気にしない」状態になれたか。
それは「他人の目を気にしない自分作りができたから」だと考えている。
他人の目を気にしていた過去の鳥頭は、当時の「他人を行動の指針にする」という価値観のまま、意識だけで「他人の目を気にしない」状態を作ろうとしていたわけだ。結果、かえって「他人を気にする」状態を作ってしまい、変われなかった。
しかし今、自分の経験から「自分が楽しいと思うことをやる」という行動指針を設定し、目の前のことに一生懸命になれる状況をつくることで、結果的に「他人を気にしない自分」を作ることが出来た。
「他人の目を気にするな」と言われても、自分の価値観や行動がそれと矛盾するようならば、結局状況は変わらないのだ。やるべきことはもっと自分の根本について追求していき、上辺だけでない変化をつけることだ。
他人の目から逃れて自分らしく生きるために
「他人の目を気にする」ことを克服するには、もっと自分の根本的な価値観にアプローチする必要がある。
ではそれを具体的にやるということはどういうことだってばよ??
今まで「価値観」とか「意識」なんて小難しいこと並べながら、拍子抜けされるかもしれないけど、「他人を気にしない自分作り」って実はとても簡単。
それは「楽しいと思うことに全力を尽くすこと」。いっつおんりー。
「他人の目を気にする人」って人間関係に必要以上のエネルギーを使ってるんだよね。人の心を読んだり、状況を読んだり、先回りして行動したりすることにすべての力を注いでます!見たいな感じで。
そのエネルギーをほかの事に使ってやろうぜ、このヤロウ!っていうのがここでの提案。自分がやっていて楽しいと感じることだけに意識を集中する。そこに夢中になるを行動指針は意識せずとも、他人から自分に変わって行く。
自分が好きなことを極めている最中って、脇目を振ることすら惜しいから、だんだん人を気にする余裕がなくなってくるんだよな。そんな感じで「何かを意識する」という工程なしで、自分本位に切り替わることが一番の理想。
ちなみに今の管理人はブログ運営に尽力しているためだんだんリアルな人間関係が希薄になりつつある。ただのひっきーである。それでも今とても楽しい。
※自分の好きなことは他人に尽くすことなんだけど!そんな私にはしねというのか?!みたいな人もいるかと思われるのですが、それに関しては別記事で言及予定です。お楽しみに ※
まとめると、「他人の目を気にするな」という言葉の意味は、「自分のことだけを気にして生きろ」ということなのだ。歴史上の偉人が言うその言葉に説得力があるのは、彼らが「自分の理想」だけに尽力した功績があるから。
もし、他人の目を気にせず生きたいと望むのであれば、その生き方から真似してみてはいかがだろうか。
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